ポジティブな不登校生活が始まるまで

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ゆゆは、小学3年生の4月から、だんだんと体調不良の頻度が増え、7月頃にほぼ毎日欠席するようになりました。不登校になったきっかけ(推測)と経緯を、私の心境の変化や対応とともに紹介します。また、私が不登校を受け入れるまでのステップと、不登校生活の指針についても記載しています。

きっかけ

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きっかけはいまだに不明です。現時点での推測は、

・小学校中学年になり、親を始め周りからのプレッシャーが増した。
・ゆゆママの体調が悪い&ゆゆパパの仕事が忙しい時期が続き、十分なサポートができていなかった。

上記の背景があり、些細なことへの不満や疲れが積り、身体的な不調が現れたのではないかと思います。もともとこだわりが強く超マイペースなので、ずっと無理をしてきたのかもしれません。

タイミングとしては、小学校3年生への進級ですが、新しい環境は願ったり叶ったりの環境でした。
・担任の先生は優しく面倒見の良い若い女性の先生。ゆゆは先生が大好き!
・保育園時代から仲の良いお友達もクラスに複数名在籍
・その他クラスメイトも、ゆゆ曰く「全員知ってるしすぐ友達になれる」とのこと

勉強面では、宿題について、1・2年生の時は大体同じだったやり方が、少し変わった印象でした。具体的には、ドリルが変わり、1ページあたりの文字数が増えたことによりボリュームは大きくなったと思います。

もともと宿題が嫌いで、寝る直前まで後回しにすることもしばしばありました。特に、漢字ドリルにはかなり時間がかかっていました。なんでも、字が思ったように上手に書けず、ストレスを感じるのだそうです。

決定的な何かがあったのではなく、外的要因により、以前から感じていた嫌悪感が溢れてしまったのかも。

経緯

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小学2年生までは特に予兆なし

保育園時代、小学1・2年生については、家では最大限甘えていましたが、保育園や学校では特に問題はなかったイメージです。夕飯前に寝てしまう等体力が足りていない傾向があったこと、毎日宿題を嫌がっていたことはありますが、他の子のママからも同様のことがあると聞いていたため、さほど問題視していませんでした。

小学3年生になり、ちょこちょこ体調不良を訴えるように

4月5月は、月に数回、登校前に体調不良を訴え、欠席したりオンライン授業に参加したりしていました。体調不良の内容も、腹痛・頭痛・疲れ等様々でした。

本人に話を聞きましたが、特に困っていることはないとのこと、また、症状が出ていない時は普段通りとても元気でした。しかし、これまで滅多になかったため、5月の初めに、担任の先生へ電話で相談し、スクールカウンセラーへ面談を申し込みました。平日の夕方に通っていた習い事も行きたくないと言い出す頻度が増え、すべて退会しました。

これまでと何かが違う、という、違和感をなんとなく感じました。ゆゆの自己肯定感が低下しているように感じたため、これまで以上に些細なことも褒めました。また、疲れていても、体調が悪くても、マイナスになるような発言は極力しないように改めて気を付けるようにしました。

6月頃から腹痛の頻度が増し、7月には週の半分以上欠席するように

症状は腹痛がほとんどになり、7月には朝から夕方までお腹を抱えてうずくまることも増えていきました。この頃から、担任の先生へお願いし、宿題は免除してもらっていました。
スクールカウンセラーへ相談し、休日には発症しないことから、夏休みにゆっくり休み、新学期からまた様子をみることになりました。

この頃が、私の一番苦しかった時期です。「不登校」という言葉を意識し始め、毎日インターネットで情報を探していました。この頃の検索ワードは、
・不登校 いつまで
・不登校 解決
・不登校 体験談
でした。不登校=問題であり、いつ・どのようにこの問題が解決するか、という、手掛かりを必死に探していました。そんなこんなで夏休みが近づいてきたため、もしかしたら夏休み明けから、何事もなかったかのようにまた学校に行くのではないか、という淡い期待を持ち、夏休みを迎えました。

夏休みは一度も発症せず

毎日とても元気に遊びまわっていました。夏休みの課題はすべてやり、学校のプール指導やイベントにも参加して、学校に対する嫌悪感は感じられませんでした。

新学期、3日目に発症。ホームスクーリングに切り替え

初日(始業式)、2日目と順調に登校しましたが、3日目に腹痛を発症しました。
スクールカウンセラーのアドバイスで、念のため、大きな病院で身体的な検査をしましたが、体に異常はなく、精神的な問題である可能性が高いとの結果が出ました。
私は方針を切り替え、「学校に毎日通う」ことではなく、「健康的で文化的な毎日を送る」ことをゴールとしました。こうして、ゆゆのポジティブな不登校生活が始まりました。

夏休みも含め約5か月間、ゆゆの状況を観察し、学校側とも相談したうえで、「学校に行かなくて良い」と決めました。

私が不登校を受け入れるまで

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我が子が不登校になった!どうしたら良いの??大半の方は、考えたこともないでしょう。私もこの状況になるまで考えたことはありませんでした。

私が不登校を受け入れたステップとして、
・義務教育とは
・過保護ではないか
・不登校児の将来は
まず上記の情報を集め、不登校を受け入れることが、自分のためではなく子供のためであることを、自分に認めさせました。そして、
・家庭での学習の仕方
・日中の過ごし方
の情報を集め、ゆゆらしく健康的に毎日を過ごせる、不登校生活の指針を考えました。

義務教育とは

ざっくり言うと、「学校に通いたいと望む子供を親が学校に通わせる義務」とのことです。
無条件に学校に通わせる(通う)義務ではなく、子供が学校に通っていないことにより罰せられることはないようです。

過保護ではないか

不登校といっても、人によって事情や状況は様々です。
我が家の場合は、学校に行こうとすると腹痛を発症します。朝から夕方まで、毎日のように、です。
ひと昔前であれば、体調が悪くても無理やり行かせることが普通だったかもしれませんが、ほぼ毎日我が子が苦しんでいる姿を見て、何のために学校に行くのか?行かなくてはならないのか?を考えさせられました。
また、ちょうど夏休みになり、毎日元気に過ごす姿を見て、まず本人の健康と幸せが最重要であると、思わざるをえませんでした。

不登校児の将来は

これはもう持論でしかないのですが、

・数か月や数年、学校に行かない期間があっても、後からどうにでもなる
・最後まで学校に行かなかったとしても、通信制の高校で卒業を目指すとか、起業するとか、いくらでも選択肢はある

と思っています。

私も20年近くサラリーマンとして働いてきました。社会人にとって、集団生活や従順な行動が必要であることは重々承知しています。
ただし、社会に出るまでの10年以上という長い時間を、常に集団生活で過ごす必要性はあるのでしょうか。苦にならない人にとっては問題のないことでしょうが、集団生活が苦手な人にとっては、常に我慢の状態が続きます。
そのうち、思春期や反抗期を経て、あるいはなりたい職業や憧れる人に出会ったりして、自分の意志で克服しようと変わるかもしれません。しかし、いつになるのかはわかりませんし、どのくらい苦痛であるのかも本人しかわかりません。

自身の経験から、後々のことを考えると、現役ではなくとも高校は卒業してほしいとは思っています。しかし、本人が自分の意志で学校に通うことを望むようになるまで、待てる状況なら待ち、最大限支援することが、今の私にできる最善策ではないかと思っています。

私の不登校に対する考え方は、下記リンクにまとめています。

リンク

不登校の解決すべき問題とは

常に学校に通い続けなくても、正しい判断力があれば、きっと何とかなる!

ゆゆの不登校生活の指針

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<不登校生活中の、最低限の課題>

・規則正しい生活
 起床、食事、入浴、就寝等、これまでと変わらない時間で生活すること。
・身だしなみ
 体調が悪くてできない時以外は、これまで通り清潔にすること。
・学校との関わり
 行きたい時は、1時間だけ、給食だけでも行くこと。
・最低限の学習
 簡易的でも、学校の授業内容を把握すること。余力があれば反復練習と復習。
・最低限の運動
 毎日ではなくても外出を心がけること。
・メディアは日中1時間まで
 動画鑑賞、ゲーム、スマホはやり過ぎないこと。


上記を守ったうえで、思いっきり好きなことをやって、楽しく生活することが、我が家のルールです。学校の登校状況・家庭学習・好き!を活かした活動については、それぞれ下記リンク先にて紹介しています。

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【学校】登校状況と学校での出来事

リンク

【学習】学習方法と学力の判断基準

リンク

【活動】好き!を活かした活動

最低限のルールの中で、楽しむことが最重要!