3学期が始まって約1週間が経過しました。我が家の不登校(部分登校)児ゆゆを見ていて、ふと感じたことがあります。それは、
小学生のうちは、このまま学校は部分登校で良いかも。
です。9月に不登校を決断し、約2週間の完全不登校の後、本人の行きたい時だけ行くという、部分登校をしてきました。本人の行きたい時だけと言っても、やはり心の底では、
・できれば給食は食べてほしい
・週に何回かは定期的に行ってプリントを回収してほしい
・グループワークや実験等、家ではできない内容の授業は出てほしい
という思いがあったことには、薄々感づいていました。なるべく出さないようにはしていたつもりでしたが、もしかしたらゆゆには伝わっており、プレッシャーになっていたかもしれません。
また、登校する頻度や時間数が増えてくると、今度は、
・合間の授業の時間(2時間目と4時間目に参加したい時の3時間目)はなんとか学校で過ごしてほしい
・送り迎えのうち、どちらかはなくなったらありがたい
・授業内容によらず、時間が固定されるとありがたい
・もっと頻度と時間数が増えてほしい
という思いも湧いてきていました。これでは、不登校を認めているとは言えませんね。お恥ずかしい。
こう思ってしまう背景には、私の仕事復帰という個人的事情があります。私は、サラリーマンとして15年以上働きましたが、現在は定職についていません。収入がないわけではないのですが、安定した給与収入があった時と比べると、少ない状態です。いつまでも現状ではいられないため、そろそろ仕事復帰を考えています。となると、ゆゆの送り迎えがネックになってしまうのです。
しかし今日、イキイキとしているゆゆを見てふと感じました。
今のゆゆ、幸せそうだな。
ゆゆの不登校を経験する前の私の、子供の優先順位は下記でした。
学校⇒宿題⇒習い事⇒遊び(好きなこと)
しかし、今はこうです。
遊び(好きなこと)⇒習い事⇒学校⇒宿題
平日の習い事や友達との遊びは、放課後にしかできません。ゆゆの場合、学校に一日行くと、疲れ果ててしまいます。体力をつけたり、疲れないように訓練すれば根本的に解決するかもしれませんが、すぐには無理です。となると、学校には部分的に行き、家で勉強を補いつつ、学校ではできない好きなことをする時間が、ゆゆにとっては必要なのではないかと思ったのです。まさに今の生活が丁度良いのではないか、と。
「行きたい時」「好きなこと」と聞くと、ただのワガママと感じるかもしれません。私も、そう感じていました。自分の基準ではなく、時間や学校や社会の基準で行動できるようにならなくては、ワガママな人間になってしまうと思っていました。しかし、ゆゆは嫌なことは断固拒否し、梃子でも動きません。腹痛も発症します。そこを、逆の発想にしてみたのです。
ゆゆの価値観と違っていても、我慢して他の基準に合わせる
我慢せず他の基準を満たすように、ゆゆの価値観を形成する
とにかく、子供が自分自身の将来のために必要なことを理解するように導くだけです。「それが難しい」と思うかもしれませんが、むしろ、それが親がするべきたった1つのことではないでしょうか。不登校かどうかは、関係ありませんね。私の個人的事情はなんとかして、なるべくゆゆの楽しい毎日を支援できるようにしたいな、と改めて感じた今日この頃でした。
やりたいことがいっぱいある!本を読んだり小説書いたりポイ活したりニャンコなでたり。今の生活は楽しい!!